ウミホタルショーの歴史(1)
<千葉県立幕張西高校科学同好会によるウミホタルショー>
■第1回(1988年) 千葉県立幕張西高校文化祭
(「刺激に対するウミホタルの応答」千葉県立幕張西高等学校科学同好会.1992 より引用)
50本のスクリュー管ビン(100ml)の中に海水とともに、数個体のウミホタルを入れ、AC(交流)25Vで刺激した。この時に使われた電極はコードの被膜を取り除いただけの粗末なものであった。それゆえに、海水の汚れも著しく、海水の色がこげ茶色になるほどだった。そしてショーが終わる頃には、多数のウミホタルが死亡してしまった。
しかし、意のままに音楽に合わせてウミホタルを発光させるというショーとしては成功を収めることができた。これを土台として規模的にも、技術的にも進歩していくことになる。
■第2回(1989年) 千葉県立幕張西高校文化祭
(「刺激に対するウミホタルの応答」千葉県立幕張西高等学校科学同好会.1992 より引用)
1回目の反省点を生かして海水の汚れ防止を第一に考え、電極を前回に使用した銅線のものからステンレス線へと変えた。これによって海水の汚れは大幅に減少した。
ウミホタルを入れて発光させる管ビンにも1回目にはなかった「動き」を加えた。この「動く装置」は2種類制作し、1つはウミホタルの入った管ビン(50ml)をロープで引っ張ることにより同時に20本の管ビンを、ちょうどイソギンチャクの触手のように動かすものである。もう1つは、ワイヤーを傾斜させて張り、ウミホタル入り管ビンをそのワイヤーに引っかけて、通電刺激後、滑らせるというものだった。「静」に「動」を加えることにより、第1回目よりも華やかなものとなった。
また、私達の日頃の研究活動について、もっと知ってもらおうとショーの前に研究発表をした。これにより多くの人々に発光生物の生態を知ってもらうことができた。
今まで、模造紙などに書いて、教室内で細々と展示していたときとは異なり、信じられないほど多数の人々がショーに訪れ、ウミホタルの光に感嘆し、そして私達の研究についての口頭発表に耳を傾けてくれた。この時、確かな手応えがあり、今までのような展示、発表だけのあまりに味気ない文化祭参加の姿勢を考えさせられるものとなった。
■第3回(1990年) 千葉県立幕張西高校文化祭
(「刺激に対するウミホタルの応答」千葉県立幕張西高等学校科学同好会.1992 より引用)
3回目は2年3組(48名)と私達、科学同好会(15名)合計63名の共同発表となった。今回はただウミホタルを発光させるだけではなく、我々科学同好会が毎年行っている八丈島キャンプ合宿のすばらしさを知ってもらうという目標を立てた。劇の中でバイオリンの生演奏、ビデオ、スライド、そしてウミホタルの幻想的な光が一体化し、八丈島の自然とそこで生々と活動する私達をうたいあげた。大規模ウミホタルショーへと飛躍した年と言えよう。
気が付くと我が校文化祭で目玉的なショーになっていた。読売、朝日、毎日の新聞各紙に記事が載ったこともあり、約800人もの観客が訪れた。
刺激技術の面でも従来の交流電源を用いた方式からパルス波刺激に改良することによりほとんど、ウミホタルには害を与えずに済むようになった。電極も一部ステンレス線から白金製の電極へと変えた。
この技術的改善により、ついにほとんどのウミホタルを元気なまま海に返すことができるようになった。
■第4回(1991年) 千葉県立幕張西高校文化祭
(「刺激に対するウミホタルの応答」千葉県立幕張西高等学校科学同好会.1992 より引用)
3年3組(48名)と、私達、科学同好会(12名)合計60名の共同発表となった。前回に引き続いて劇をプラスして公演を行った。この劇の台本は3年3組の生徒が自主制作し、3年生の学校に寄せる気持ちを表現したものだった。
私達の目標は、「ショーがウミホタルの害にならないようにするためのさらなる工夫」であった。電極に使用されていた金属は海水中で電気分解を起こし、ウミホタルにとって有害な物質が生じるため一切の金属電極を排除し、代わりに、カーボン(炭素)電極へと変えた。
パルス波刺激も、むやみに行うのではなく、一番発光率、生存率の高い条件を数々の実験を行い、探し出した。このことも、電極の変換とともにウミホタルの生存率をさらに上げることになった。
この年からウミホタルの「刺激に対する応答」に関しての本格的な研究が始まったと言えよう。
新規の装置として、ステージの下から会場天井に向かって、ゆっくりと25本のビンが舞い上がる「すだれ」、会場広報から前方ステージまでゆっくり下降する「とび魚」、前方から会場を縦断するように、直径3cm、長さ15mの透明パイプを釣り下げ、多量の発光液が観客の頭上を流れる「天の川」、ウミホタルの光だけでなく、ルミノール反応を応用して幅1m、高さ2mの光の滝ができる装置など多種多様の装置が誕生した。
前年に引き続き、新聞に記事が掲載されたこともあって、約1,000人もの観客が詰めかけた。
■第5回(1992年) 千葉県立幕張西高校文化祭
(「刺激に対するウミホタルの応答」千葉県立幕張西高等学校科学同好会.1992 より抜粋引用)
この年も昨年同様劇を組み込んだものとなった。2年3組(46名)と私達、科学同好会(9名)合計55名による合同発表となった。この回のウミホタルショーは5周年という事もあり、科学同好会が総力を結集して各装置の制作に取り組んだ。
前回200本だった管ビン(50ml)を450本に増量したり、初のパソコン制御による波紋の演出、広域空間を再現するため、会場前方に32本の大型プラスチックケースを吊り下げた装置。そして、縦90cm、横180cm、奥行き1.5cmの大型パネル水槽を主とし、さらに縦20cm、横40cm、奥行き1.5cmの小型パネル水槽10枚を操作することによって生まれる、全く新しい幻想的な光の空間を作り出す、「ビジョン・システム」など、様々な装置を組み込むことにより、「自然に発光して泳ぐ無数のウミホタルを海に潜って眺めたい。」という5年前からの夢に確実に近づくことが出来た。
■第6回(1993年) 千葉県立幕張西高校文化祭
この年も今となってはウミホタルショーに必要不可欠な新しい装置が次々と登場した。その中でも目玉は、太い塩化ビニール製チューブと細い塩化ビニール製チューブを組み合わせて、ウミホタルの光が会場中を縦横無尽に広がっていくものである。チューブの総延長は300mにも及び、今までにない光の動き、流れを表現することが可能になった。この年のウミホタルショーは、テレビ朝日系列の情報番組「はなきんデータランド」でも取り上げられ、大きな反響を得ることができた。
■第7回、第8回(1994年) 千葉県立幕張西高校文化祭
この年は、異なる2つの脚本によりウミホタルショーが開催されたため、第7,8回となる。この年は新たにコンピュータ制御によりショーのBGMと連動した刺激を行うシステムの開発に成功した。また、チューブなどにも新しいアイディアを取り入れたユニークな装置の開発も行われた。
■第9回(最終回)(1995年) 千葉県立幕張西高校文化祭
千葉県立幕張西高校がこの年を最後に廃校となることから、科学同好会としては最後のウミホタルショーとなった。この年はこれまで表面が塩化ビニール製のシートだった大型パネルをアクリル製に作り替えるなど、より美しい光を演出すべく装置の開発が進められた。また、球形の小型水槽を会場内各所に設置し、間近でウミホタルの発光を見られるような新たな試みも行われた。
この回を最後に幕張西高校科学同好会によるウミホタルショーは幕を閉じた。
ウミホタルショーに関する全装置は、すべて卒業生が運営する団体である本会(ウミホタルショー実行委員会)に引き継がれることとなり、同校の廃校と同時に科学同好会はウミホタルショー実行委員会として活動を継続することとなった。
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